「ワンシーン」レポート #1 かさじぞう
たなべひろこ
「ワンシーン」と名付けたこのワークショップは、月に1回程度のペースで絵本を題材に身体表現を行うものです。ひとつの物語をともに読み進め、からだを使ってその物語の世界を想像します。踊りを通して物語を深く理解することが目標のひとつです。
今回は、『かさじぞう』を扱いました。年越しの季節、雪国で質素に暮らす老夫婦のお話です。『かさじぞう』の絵本は何冊も出版されていますが、今回は松谷みよ子、黒井健『〈松谷みよ子むかしむかし〉 かさじぞう』(童心社、2006)と瀬田貞二 再話、赤羽末吉 画『かさじぞう(日本の昔話)』(福音館書店、1961)の2冊を読み比べました。
①雪を表す擬態語
読み比べると、絵や言葉の違いに気づきます。例えば、雪を表すとき、松谷の絵本では「ほたほた」と書いているのに対して、瀬田のバージョンでは「もかもか」となっています。ワークショップでは、指や手でひとの肩や頭に触れ、様々な触れ方を試して「ほたほた」と「もかもか」、それぞれの雪の表現を試し、どんな感覚だったか言葉にしました。雪を降らせる方と、触れられる方に分かれてペア・ワークをやることで、身体的なコミュニケーションに慣れ、想像力を活性化させることを狙いとしました。
ほたほた
・着地したのが見える
・じわ
・やわらかい
・たんぽぽの綿毛
・空気の入った雪
・払って落とせるタイプの雪
・ニコちゃんマークの雪
・ポロロン、ポロロン、やさしい
もかもか
・肩に乗るときに重い
・自分がちょっと沈む
・着地というより押される
・水分が多い
・払って落とせない
・いじわる
・憂鬱になった
物語のなかで、町に笠を売りにきたおじいさんは、吹雪のせいで商売をやめて帰ることにします。「ほたほた」も「もかもか」も、吹雪の激しさを言い表すような擬態語には思えません。雪の降り始めを描くための工夫かもしれません。
②地蔵をいたわること
おじいさんは帰り道でお地蔵さんが雪に埋もれているのを発見します。 「おお、さむかろ さむかろ、つめたかろ」おじいさんにとって、お地蔵さんは凍えているように見えたのでしょう。6人の地蔵ひとりひとりに、売り物の笠をかぶせます。ワークショップでは、地蔵、おじいさん、雪の3役に分かれ、この一場面を表現してみました。まず地蔵役が膝立ちになり目を閉じます。次に雪役が先ほど同様、手と指で地蔵役の肩に触れ、雪をふらせます。おじいさん役は雪役の手をはらいつつ、地蔵役に笠をかぶせます。雪役は、その笠を解き、脱がせ、それに続いておじいさん役は雪役の手を払いつつ笠をかぶせるということを繰り返しました。
おじいさんがお地蔵さんを我が子のように可愛がり思いやる、その強い感情移入に焦点を当てようと考えていましたが、3役でやってみると、おじいさん役と雪役の動きが、地蔵役を挟んで腕を払い合うバトルのようになってしまい、滑稽で面白いのですが身体表現としての深まりが生まれにくくなってしまいました。お地蔵さんは、おじいさんが亡くした子どもたちを供養したものだとされており、背景にある地蔵信仰について、これからも理解を深めていく必要がありそうです。
③地蔵のかけ声
おじいさんに笠をかぶせてもらったお地蔵さんたちは、たくさんの贈り物を運びながらおじいさんの家までやってきます。そのかけ声は絵本によって異なりますが、今回のワークショップでは、瀬田のバージョンに書かれている「よういさ、よういさ、よういさな」の掛け声に合わせて、打楽器奏者の富田が民謡の音階を参考に、メロディを演奏し、みんなで歌いました。
④耳を澄まして起き上がる
布団に入ってぐっすり眠っていたおじいさん。お地蔵さんたちのかけ声は、次第におじいさんの耳に届き、誰かが自分の家のほうに近づいてくることに気づきます。
ワークショップでは、富田の演奏を手掛かりに、おじいさんが横になって眠っている状態から目覚めて起き上がるまでの過程を、からだを使って実際にやってみて、想像しました。
眠っている状態から、ゆっくりと目が覚めてくるとき、それはどんな身体表現になるのでしょうか。眠りから目覚めの変化は、大げさなジェスチャーにしない限り、身体で表すことが難しいものです。また、なにかを聴いているということも身体で表すことが難しいものです。渡川は、耳を澄ますということは全身を澄ますということだと思う、と話し、目を開けずに起きあがるという表現を行いました。幽体離脱のようなイメージかもしれません。富田は、お地蔵さんのかけ声は非現実的な陽気さがあって、それが布団のなかのおじいさんにとっては恐ろしく聴こえたのではないかと解釈し、鈴を使って、人の声ではない声が聞こえてくる感覚を表現したと解説してくれました。
お地蔵さんからの贈り物の中身は、新年を祝う餅や米です。しかし、バージョンによってはお地蔵さんたちが極楽浄土に連れていってあげるという結末もあるようで、おじいさんにとってどんな贈り物が嬉しいのか、それは自由に想像してよいポイントだと言えます。
まとめ
今回の『かさじぞう』では、雪国のからだを想像しながら、物語を深く理解することを目指しました。しんしんと降る雪の世界を身体表現で捉えるのは簡単ではありませんが、雪の重さや、眠りから目覚めの過程を想像するなかで、東京での日常生活とはまったく違う物語世界に親しむことができました。
絵本を参考にすると、言葉だからこそ、また、絵だからこそ表現できるものがあることがよくわかります。このワークショップでは、それらを手がかりに、踊りだからこそ表現できることを考えていきたいと思っています。 『かさじぞう』の場合、これはもともと良いことをすれば良いことが自分にも返ってくるという教訓物語ですが、地蔵信仰や、老人が贈り物をもらうということの意味に注目することで、教訓のメッセージにとどまらない芸術的な広がりをみつけることができるのではないかと思っています。
ワークショップの最後に、物語をもう一度最初から最後まで通して朗読し、富田は演奏を、渡川は身体表現を行いました。朗読に従って表現をしてみることで、ひとつひとつの場面の、どの部分に合わせて表現をするのが良さそうかという問いが浮かび上がりました。身体表現であれば、登場人物の動きを真似るだけでなく、雪や風の動きに注目することもできます。音楽表現も、登場人物の気分ではなく、背景に描かれている自然に注目することができます。絵、音楽、身体、言葉、これらの関わり合いについて、これから様々な絵本を扱いながら深めていきたいと思います。
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